近衛師団司令部庁舎-1

近衛師団司令部庁舎 (現東京国立近代美術館工芸館) – 東京で戦災を免れた貴重な建物

東京にあった多くの近代建築は震災や戦災にあって原型を留めないものが多いが、その中で、宮城(皇居)にあった近衛師団司令部庁舎は建設当時の外観を留めている数少ない明治時代の近代建築である。重要文化財に指定されている。

近衛師団司令部庁舎の建物について

この建物は近衛師団の司令部庁舎として明治43年に完成した。設計は陸軍の技師であった田村鎮。建物はゴシック風の2階建物赤レンガ造り、屋根はスレート葺、正面中央の玄関部には小さな八角形の塔屋をのせ、両翼部に張り出している。
関東大震災や第二次大戦を通して東京にある洋風煉瓦造の建物の多くが消滅していくなかで、この建物は明治時代の官庁建築の様式をよく残しており、日本人技術者が設計した現存する数少ない遺構として重要な建物である。
現在は耐震工事が施され、内部を一部改装して東京国立近代美術館工芸館として活用されている。

近衛師団司令部庁舎の玄関
近衛師団司令部庁舎の玄関

東京国立近代美術館工芸館の地図

皇居の北の丸にあり、アクセスは大変である。私は地下鉄の九段下で下車して、重要文化財に指定されている田安門から皇居に入り武道館の横を通り15分程度歩いて行った。
帰りはまた、九段下まで戻り、反対側の靖国神社を参拝して帰った。

重要文化財の田安門

田安門
田安門

近衛師団について

近衛師団は天皇と宮城(皇居)を警護するという特別の任務を持つた大日本帝国陸軍師団の一つである。そのため、特定地域からの徴兵による一般師団とは異なり、全国から選抜された兵によって構成された精鋭部隊であった。近衛兵になることは大変な名誉なこととされた。

近衛師団は宮城の警備、儀仗の任という特別の役割があるためか、軍隊としての強さはあまりなかったようである。しかし、宮城の警備を行っていただけでなく、天皇の意向からか海外で戦争が勃発すると近衛師団も例外なく参加していたようである。

宮城事件の舞台

太平洋戦争の終戦の直前の昭和20年8月14の深夜から15日にかけて、この建物を舞台として、終戦に反対した将校が、近衛師団長を殺害し、玉音放送(昭和天皇による終戦の詔書の録音盤)を奪おうとした宮城事件が発生している。

この事件についてはノンフィクション作家半藤一利が「日本のいちばん長い日 運命の八月十五日」との表題で小説を発表している。映画化もされ評判になった。