高田市山町筋の菅野家住宅

菅野家住宅 – 重厚な土蔵造りの建物

高田市の山町筋は大火の教訓から土蔵作りの町並みが形成された。その中の菅野家住宅は規模、質、保存度とも最も優れたものであることから重要文化財に指定されている。また、山町筋は重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

菅野住宅 の特徴

北海道との通商で巨万の富を築いた菅野家が明治35年に建築した高岡の代表的な土蔵造りの町家。主屋が土蔵造り2階建で壁面は黒漆喰を塗り、2階には観音開きの扉があり、外観は非常に重厚感のある建物になっている。また、両袖には防火壁が立ち上げたり、1階正面道路側と中庭に面する縁には鉄板を貼っあり、防火を意識した構造になっている。
また、防火壁を釉薬を施した煉瓦で造ったり、屋根の小屋組には真束の手法を用いるなど、洋風建築の要素も採り入れた面もある。
菅野家は、現在も住居として使用されているが、内部を見学することも可能である。

菅野家住宅 付近の地図

住 所:富山県高岡市木舟町36
山町筋はJR高田駅から徒歩でも15分程度の距離にあり、手軽に見学できる。近くには近代建築の名品の富山銀行本店(赤レンガの銀行)もある。

高田大火と土蔵作り建物

糸魚川の大火災でも分かるように裏日本ではよく大火災が起こるようである。高田市では明治33年に市街地の約6割を焼き尽くした大火災が起こっている。これを教訓に繁華街での建物の新築の際は防火構造のものとすることが義務づけらた。このため山町筋の復興にあたっては当時の防火建築物であった土蔵造りの建物が多く建てられた。
明治36年に建設さえた筏井家住宅も観音開きの土扉も持っ重厚な建物である。

筏井家住宅(木舟町)
筏井家住宅(木舟町)

山町筋の町並みの形成

高岡の町が開かれたのは、慶長14年加賀藩第二代藩主の前田利長が高岡に城と城下町を建造したときから始まる。しかし、利長の死後に発令された一国一城令により高岡城は廃城となり武士団は金沢へ引き上げてまった。これにより、高田は城下町から商工業の町へと変貌していった。
重要伝統的建造物群保存地区に指定されている山町筋の地区には大火の影響で菅野家住宅付近など土蔵造りの町家が多いが、その他にも前面を洋風に仕上げた町家、レンガ造りの近代建築の銀行など、明治中期から、大正、昭和初期に建築された伝統的な建造物が残されている。
ただ、道路幅が広く、道の両側の家の間隔が離れているので、町並みとして印象は薄れる。

山町筋の町並み
山町筋の町並み