碓井第三鉄橋(めがね橋)

碓氷第三橋梁 (めがね橋)- 日本最大の煉瓦造りアーチ橋

安中市から中山道(18号)を碓氷峠、軽井沢方面に進むと道の側に煉瓦造りの素晴らしいアーチ橋がある。これは碓氷第三橋梁、通称「めがね橋」と呼ばれている元信越本線に架かっていた橋である。重要文化財に指定されている。

碓氷第三橋梁(めがね橋)について

碓氷第三橋梁はレトロな煉瓦造りで橋で、高さも川底から31メートル長さも91メートルと日本では最大の煉瓦造りのアーチ橋である。下から見上げるこの高いアーチ橋は周囲の環境と相まって素晴らしい景観を作り出している。一時は撤去の話もあったが、現在は重要文化財に指定されたり、更に、世界遺産に登録しようとする話も出てきている。
強度の観点から煉瓦造りのアーチ橋として設計された。使用された煉瓦は約200万個に及ぶ。これらの煉瓦は埼玉県の川口や深谷など明治時代の近代化の波に押され操業を始めた煉瓦製作所から供給された。
アーチ橋は形状が丸いメガネを想像させることから「めがね橋」と呼ばれることが多い。一般的には二つのアーチである橋が多いが、碓氷第三橋梁は4つにのアーチも持つ大型の橋である。
昔は橋に上には古いレールが残っていてレトロ感が増したが、現在は残念ながらレールは取り払われ、舗装され、「アプトの道」として遊歩道になっている。

碓氷第三橋梁付近の地図

住 所:群馬県安中市松井田町坂本 地内
徒歩100メール程度のところに大きな駐車場が整備されている。

信越本線の横川ー軽井沢ルートについて

明治政府は東京と京都を結ぶルートの一つとして中山道幹線を計画したが、最大の難所は碓井峠が立ちはだかる横川 – 軽井沢間で、標高差553メートル、急勾配で技術的にも予算的にも困難な区間であった。
スイッチバック方式などいろいろな方式が検討されたが、最終的にはドイツのハルト山鉄道を参考にアプト式で建設されることになり、鉄道作業局技師長としてイギリスから招聘されていたパウナルと古川晴一が設計を行い、本間英一郎ら日本人技術陣とが一体となって明治24年に着工された。
着工してからわずか1年9ヶ月の明治25年に完成しているが、500人余りの犠牲者が出るという非常に難工事であった。
路線が完成してからもアプト式の経験にないことからいろいろと苦労があったようである。
特に急勾配であるため、アプト式蒸気機関車でも登坂に使うエネルギーは凄まじく、乗務員も乗客も煤煙と熱に苦しめられ、乗務員の中には窒息失神する事故も発生している。

アプト式鉄道

アプト式鉄道
アプト式鉄道

登山鉄道などによく使われる路線の方式である。線路の中央部に歯形のラックレールと呼ばれるレールを敷き、機関車の下部に作られたピニオンという動輪がラックレールを噛みながら走る方式である。発明したローマン・ アプトにちなんでアプト式と呼ばれている。現在、日本でこの方式が採用されているのは、大井川鉄道の井川線で運行されている列車だけである。

アプト遊歩道

めがね道
めがね道

信越本線アプト式鉄道の廃線を利用して、横川駅から熊ノ平駅までの約6キロメートルが遊歩道として整備されている。この道には重要文化財に指定されている旧丸山変電所とめがね橋などの三つの橋梁、それと10のトンネルなど優れた煉瓦構造物が含まれている。
めがね橋の下の方から上に登る階段があるので、簡単に上に行ける。めがね橋の上から見る眺めも最高であるし、近くに煉瓦作りのトンネルもあり、レールは撤去されてしまったが、少しは昔の雰囲気を味わえる。