岩手大学の構内に青森ヒバのレトロで趣のある建物がある。これは宮澤賢治も学んだことがある盛岡高等農林学校 – (現岩手大学農学部農業教育資料館)の校舎である。全国に専門学校は多く設立されたが現存する校舎は少なく、重要文化財に指定されている。
盛岡高等農林学校について
盛岡高等農林学校は、全国に先駆けて明治35年に盛岡に創設された農業や林業に関する官立の専門学校である。その後、全国に16近くの官立や公立の農林専門学校が設立されている。専門学校は農林以外にも水産、工業、法律、経済、文学等があり、それらの専門学校は各県に設立され現在の国立大学等へとつながっている。
建物は盛岡高等農林学校の本館として、大正元年に建てられたものである。設計は文部省の技手であった谷口鼎。構造は青森ヒバの木造2階建て、寄棟、スレート葺き、外壁は下見板張りとなっている。青森ヒバは湿気に強く、腐れ難く、防虫効果に優れているとされる木材で東北地方の神社仏閣の建築などにも多く使用されている。
多くの専門学校の校舎が建設されたが、現存しているものは少なく、特徴ある木造校舎としては盛岡高等農林学校と米沢高等工業学校の校舎ぐらいで、これらは重要文化財に指定されている。
盛岡高等農林学校は学制改革により昭和24年に岩手大学となり、この校舎はしばらくは大学の本部として使用されていたが、現在は岩手大学農学部附属の農業教育資料館となっている。
岩手大学農学部農業教育資料館の地図
住所:岩手県盛岡市上田3丁目18−8
岩手大学の構内にあり、通常は関係者以外立入り禁止であるが、農業教育資料館を見学する目的なら気にすることもなく、入って行って問題ないと思われる。
旧正門と門番所
岩手大学の構内には他にもレトロな建物として旧図書館や門番所があるが、特に昔の正門に建っていた門番所は正面が八角形の事務所となっている珍しい建物で、改造が少なく保存状態がよいということで重要文化財に指定されている。

旧正門も昔の雰囲気を残す場所である。旧正門からは昔の狭い道も残っており、道の両側には桜並木が作られ桜のシーズンは趣のある道となっている。岩手大学は観光地ではないが、盛岡市の観光では気に入った場所であった。

童話作家宮澤賢治について
盛岡高等農林学校のもう一つのトピックスは「雨にもまけず」の詩で有名な宮澤賢治が学んでいたことである。宮澤賢治は大正4年から大正9年の6年間盛岡高等農林学校の本科生および研究生としてで学んでいる。成績は良かったようで首席で入学し、翌年からは特待生に選ばれ授業料を免除されている。
宮澤賢治は当時からすでに文学活動をしており、仲間と共に同人誌「アザリア」発行して、賢治も短歌や短編を寄稿していた。また、賢治は仏教に関心を持ち毎朝法華経を読経したり、山野を散策し、自然と親しんでいたようである。
文学作品としては「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」など多くの童話や文学作品を書いているが、その中でも一番有名なのは「雨にもまけず」の詩でないだろうか。
詩の内容は多くの人から共感の得られるような素晴らしいもので、リズム感もよく、易しい言葉で書かれているので道徳教育にも使用できそうな作品である。
最後に非常に気に入ったので、全文を掲載する。
宮 澤 賢 治 の 詩
雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい