松本城の外堀から見た天守

松本城 – 黒塗りの五重の天守

城郭建築の中で趣きのある建物として真先に思い浮かぶのは松本城の天守閣である。堀の側に建つており、黒い五重の天守閣は巨大な木造戦艦を想像させ、独特の趣きを漂わせている。城郭建築の中では一二を争う素晴らしさである。国宝に指定されている。

松本城の地図

住 所:長野県松本市丸の内4番1
松本駅からは徒歩15分、松本城から旧開智小学校へは徒歩5分の距離にある。松本城は一般に開放されている松本城公園からその勇姿を見ることができる。

松本城の場内

松本城内には天守閣以外にもその他の城郭の遺構が再現されている。

太鼓門の二の門

現在に復元された門である。門の内側は敵を撃退するため枡形構造になっている。

松本城の太鼓門
松本城の太鼓門

太鼓門一の門(黒門)と玄蕃石

松本城の玄関的な位置付けの門である。参勤交代の時はこの門が集合場所になった。現在に復元されたものであり、歴史的価値はない。
大きな石は玄蕃石と呼ばれ松本城で最大の石である。

松本城の黒門
松本城の黒門

松本城 埋の橋

埋の橋は現在になってから復元されたものであるが、風景のアクセントになっている。

埋の橋側見た松本城の天守閣
埋の橋側見た松本城の天守閣

松本城の周囲の様子。堀の遺構は残っている。

松本城の内堀
松本城の内堀

松本城(深志城)の歴史

松本城は戦国時代を生き延びてきた城であり、姫路城の様に威厳を見せつける城ではなく、戦国時代の戦闘能力を見ることができる城である。
深志城(松本城)は室町時代末期この地方に大きな勢力を持っていた小笠原貞朝によって建設された。木造の天守閣は現存するものとしては最古である。
戦国時代にこの深志城の城主であった小笠原長時は塩尻峠の戦いで武田信玄に敗れ、急速に力を弱めていった。武田信玄は松本盆地を支配下に治めるとこの深志城を北信濃進出の拠点として上杉謙信と対峙している。
武田氏が滅ぶと深志城も木曾義昌、小笠原洞雪斎、小笠原貞慶と次々と城主を変えている。小笠原貞慶が城主のとき深志城を松本城と改名している。徳川家康が関東に移されると豊臣秀吉の配下となっていた石川数正が松本城を治めた。石川数正とその子康長は天守閣やその他の城郭、また、城下町も整備した。松本城の建設時期としては諸説があるが、この石川親子の時代に天守閣の基本部分が構築されたと思われる。
その後も城主はよく変わったが、江戸時代に世の中が安定すると戸田松平家が代々居城としている。

松本城が黒い理由

いろいろな説があるようだが説得力があるのは防腐剤として柿渋と黒漆を外壁に塗っていたと云う説である。
また、黒は収縮色であり、戦国時代は敵の目から隠す効果があるため、黒色が好まれたと云う説も納得できる。
また、豊臣秀吉が黄金が映えるため黒い城が好きであったと云う説もあるようだが、賛成し兼ねる。以上のことを総合的して、豊臣政権の時代は黒い城が、世の中が安定した江戸時代は徳川幕府の威厳をみせるため、姫路城のように白い城が作られたということである。