山手68番館

山手68番館 – 日本テニス発祥の地のクラブハウス

横浜の山手には洒落た洋館が多くあるが、その中の一つ山手68番館は日本のテニス発祥の地として知られている山手公園の中にあり、現在もテニスのクラブハウスとして使用されている。

山手公園内のテニスコート入り口には元デビスカップ選手の安部民雄が書いた「日本庭球発祥之地」と彫られ記念碑がある。

テニス発祥の碑
テニス発祥の碑

山手68番館(山手公園管理事務所)の建物について

この建物はC.F.フランコの住宅として昭和9年に建てられたもので、元は山手68番地にあったことから山手68番館として親しまれている。現在の場所には昭和61年に移築されたものである。バンガロー風の木造平屋建て並の外国人が住む程度の一般的な住宅であるが、日本にあると珍しく、特に、場所が閑静な山手公園の中にあることから、趣きのある建物となっている。

現在も付近にはテニスコートがあり、公益社団法人横浜インターナショナルテニスコミュニティ(YITC)が管理している。国際親善を重んじる団体で外国人も多く利用している。反面、子供や一般の人が参加できるテニススクールなども開催されており開かれた団体でもある。山手68番館はこの由緒ある名門の団体(YITC)のクラブハウスとして利用されていることからも重厚な風貌も加わり、より趣きが深いものなっている。

クラブハウスから見たテニスする
クラブハウスから見たテニスする

クリスマス前には山手洋館の一つとして、山手恒例のクリスマス飾りが飾られることもある。

山手68番館(山手公園管理事務所)の付近の地図

住 所:神奈川県横浜市中区山手町230
山手のメイン通り山手本通りから、山手教会の横を入って行く。行き止まりのように見える道であるが公園まで続いている。少し歩いたところにテニス発祥の地として知られた山手公園がある。現在もテニスコートがあり、多く人がテニスを楽しんでいるのを見ることができる。山手68番館は公園の一番奥にある。途中には日本のテニスの歴史を展示したテニス発祥記念館もある。

日本のテニス発祥の経緯と記念館

横浜が開港され、日本有数の港町になると外国人が多く住むようになった。外国人達は明治3年に明治政府から横浜の山手に土地を貸与され、公園を作った。ローンテニスは明治7年にイギリスで生まれているが、2年後には横浜でもテニスコートやクリケット場を造成してプレーを楽しんでいたようである。明治11年にはイギリス婦人たちがLadies Lawn Tennis and Croquet Clubを結成している。男性のクラブが多かった居留地に於いて、テニスは男女が一緒にプレーできる異色スポーツであり、異国で生活する女性にとって公園でのテニスやお茶が最大の楽しみであったようだ。なお、テニスをプレーしたのは外国人でもイギリス人が中心であった。

日本でテニスが普及していった経緯は定かでないが、外国人が用具を取り寄せて、それを使用して浸透していったようである。中でも横浜商業高校やフェリス女学院、紅蘭女学院など先ずは女学校に普及していったようだ。横浜商業高校は庭球部を作り、外国人クラブと試合した記録も残っている。その後、ローンテニスは神戸、東京などにも広がって行った。

注目すべき点は、外国人が持ち込んだのはローンテニス(硬式)であるが、日本では国産ゴムマリが開発され、その後の普及は軟式テニスが主流となっていったことである。

公園の中には山手68番以外にも洒落た洋館の建物が建っている。これはテニス発祥記念館で、昔のテニス関係の資料が展示されている。この建物も趣きがあるが、建てられたのは新しいとのことである。

テニス発祥記念館
テニス発祥記念館
テニス記念館の展示品
テニス記念館の展示品

 

テニス発祥当時の外国人のテニススタイルが展示されているが、とても運動する服装とは思えない。のんびりと優雅なテニスであったようである。

木のラケットも展示されている。私がテニスを始めた頃もまだ、このように木のラケットであった。スウィートスポットが狭く、現在のラケットより格段に難しい。現在このラケットを使用するとミスも多くなるだろう。

昔のラケット
昔のラケット